豚の角煮

じつはここ数日M-1のことが気になって仕方がなかった。まめにライブに行ったりテレビをチェックしたりする熱心なファンじゃないので、こういうことでもないとまとまってみる機会がないからだ。なんだかんだいって毎回逃さずM-1をみているけど、次回からはみられそうもないのでここに今回のことを書いておこう。


千鳥
片方が中世シーンを演じている間もう片方が手持ち無沙汰になってしまっている。これはいかんだろう。なんか間の手を入れるなり、細かい突っ込みどころを盛り込むなりしないと厳しいと思う。くじ運というよりネタを練りきれていない。


タカアンドトシ
初見。今はこういうのを正統派しゃべくり漫才というのか。なんかあんまり印象がない。


東京ダイナマイト
初見。確か松田大輔オダギリジョー阿部美穂子が出てたBSフジの昼の番組に出てたと思う。ジャージ着て。青木さやかと組んでどんなことをしてたのだろう。もっとみてみたいと思わせてくれたのだが、緊張したのか全体的にやり取りがぎくしゃくしていたように思う。

トータルテンボス
初見。何だ渋谷系漫才って。なんかわりと全面的に否定しない今時の漫才だったが、ネタについていうと既存の意味に頼りすぎていたと思う。残念だ。もっと力技でもよかったと思う。ちょっと思ったのだが、おぎやはぎ的というか激しくない突っ込みをする場合、あんまりとんでもないぼけをできないのではないだろうか。全面的に否定しない場合はその根拠が必要であって、それは例えばトータルテンボスの場合意味に対する依存ということになってしまうのではないだろうか。


南海キャンディーズ
初見。ネタはどちらが考えているのだろう。山里の方だとしたら、彼は良い、そして忠実な相方を見つけたと思う。


POISON GIRL BAND
初見。いや面白かった。もっとみたい。トータルテンボスのときにあった意味への依存というものがとりあえず乗り越えられていたと思う。吉田が依拠しているのは意味とか外的な規範というよりは阿部の語りそのもので、そして阿部も吉田の突っ込みに依拠するという相互的で内的な関係ができていると思う。漫才として正しいと思う。


笑い飯
はっきりいって全く評価していない。そもそも初めてM-1に出てきた頃から何が面白いのか全くわからなかった。まずダブルボケというのが新しくないし。彼らは突っ込みの意味を全くわかっていないと思う。「何が面白いのか」ということについて共通の理解がある場合、面白いとされていることをやれば良い。しかしその共通の理解を欠いている場合、その根源的な問題を自ら解決しなければいけない。つまり面白いか面白くないかを判定する、それが突っ込みの役割だ。おそらくこれは浜田雅功が発見した事柄だと思う。そういう意味ではそれまでは突っ込みなんて存在しなかったのではないだろうか。突っ込みの規範を共通の理解から切り離したというのが彼の功績だと思う。しかし笑い飯はその意味でアナクロニックな感じがするのだ。面白いものがどこかにあって、我々はそれを分有しているという前提があるのではないか。そしてその前提を共有しうる限られたものが彼らの笑いを理解できる、と。したがってそういうのを共有していないあたしはあまり彼らを理解しない。


アンタッチャブル
『アメトーク』でも自分で言っていたが、柴田はバラエティとかだとあんまり自分のキャラを際立たせることができないが、漫才になると光る。しかしなんといっても場慣れしているというのが強みじゃないだろうか。


麒麟
結果的に決勝にあがれるのだが、思うに敗者復活組が最後にやるというのはどうだろうか。かなり有利だと思うのだが。


決勝
アンタッチャブル
これは決まったと思った。実際決まった。


麒麟
ボケのシナリオに乗って突っ込みが動き回るというのは他の漫才コンビはやってないのだろうか。最後の「がんばれ俺たち」は良かった。


南海キャンディーズ
やはり最初のサイにはかなわなかった気がする。井上和香いじりはちょっとリスキーだったのでは。


来年みることが多分できないのは非常に残念だ。というかお笑い番組を見ることができなくなるのが残念だ。まあM-1はDVDがでるだろう。買うかわからんが。とりあえず年末だ。