GUILLEVIC, Terraqué suivi de Exécutoire, Gallimard, coll. Poésie, 1968

そもそもJean-Marie GleizeのPoésie et figurationという本を読むのに、Guillevicのことを扱った章があったので読んだ。序文を読むと、1942年という年は、PongeのParti pris des chosesとこのTerraquéが出版されたという点で重要な年だ的なことが書いてある。まあそれぐらい偉いんでしょう。とにかく、彼にとって重要なのは、外部と内部であるようだ。人間というのは外部によって苦痛を味わい、内部を恐れる存在である。それによって人間は内部と外部の間を揺れ動いているわけだが、それはまさに言語によってなされるのだ。そしてしばしば彼の死の中で人間との比較で登場するのが岩であったりするわけだが、岩はもちろん言語を使わないので、このような揺れを持たない。Guillevicにとってこの内部と外部の齟齬というのは時間というものを通じて表現されているが、岩は時間を知らないので、それを恐れることはない。たしかBonnefoyにとっては岩とは死そのものであったが、Guillevicにとっては逆に岩は時間と切り離されているという点において死と無縁であるようだ。ちなみに「岩は陶酔を必要としない」とかいっているが、これはBaudelaireを思わせる。Baudelaireにとって陶酔とは時間の専制から一時的ではあれ逃れるすべだからだ。そもそも内部と外部というものの区別がアプリオリにあるのかというのが疑問だ。