Michel Camus, Antonin Artaud : une autre langue du corps, Opales, 1996
Kiyoshi ARAI, Le problème de l'expression chez Antonin Artaud, Atelier national de reproduction des thèses, s. a.
Florence de MÈREDIEU, C'était Antonin Artaud, Fayard, 2006
Florence de MÈREDIEU, Le Japon d'Antonin Artaud/La Chine d'Antonin Artaud, Blusson, 2006
Jean-Paul CURNIER, A vif : Artaud, Nietzsche, Bataille, Pasolini, Sade, Klossowski, Lignes, 2006
Antonin ARTAUD, Cahier : Ivry, janvier 1948, Gallimard, 2006
sous la dir. de Guillaume FAU, Antonin Artaud, BnF/Gallimard, 2006


最初のやつは1995年にメキシコとマルセイユで行われたコンフェランスの発表といくつかの雑誌に掲載された二つの論文を収録したもの。最後の論文はUccello関係。まあこれは近々読まないといけないかも。二つ目は防衛大の助教授の方の博士論文。博論が買えるとは思わなかった。Atelier National de Reproduction des Thèsesにどうやら文系の博論がある程度そろっているみたい。そして検索してこのサイトから直接買えるみたいだ。この本は古書サイトで買ったものだが。検索でヒットしたものすべて買えるわけではないようだ。次の二冊はMèredieu。最初のはどうやら伝記。分厚い。Artaudの伝記はいくつもでているが、日本語にも翻訳されているBrau(『アントナン・アルトー』)やBarber(『アントナン・アルトー伝―打撃と破砕』)はたぶん論文で参照するにはどうだろうという感じ。というのは、70年代に書かれたThomas Maederという人の伝記がいまだに主要な伝記となっているからだ。上の二人の伝記もこのMaederを引いていたりする(そりゃ後発なんだから引くだろうが)。分量も二人を圧倒していると思う。やっぱり伝記というものには厚さが必要だ。で、Mèredieuのこの本はMaeder以上の厚さだ。1000ページですか。日本語にしたら三冊分だろうか。1920年から1年ごとに章立てしてある。さすがに30年代後半から40年代はじめはそういうわけにはいかんだろうが。これが出たあとに論文を書くということはこれを読んでいなければいけないということなんだろう。彼女の二冊目がその名の通りArtaudにおける日本と中国について。なんかほんの作りが変だ。表と裏で天地が逆になっていてそれぞれが中国論、日本論になっている。まあだいたいネタはわかっているが、よくこれで一冊の本を書けるなあという感じ。次はCurnierという作家で哲学者のテクスト。いろんな人の名前が出てくるがそれぞれ比較するというのではなく、論文集という感じ。ぱらぱらと見た感じではなんか緩いエッセイみたいだな。最後二つはArtaud自身のもの。まずは彼の最晩年、1948年1月のノート。彼が亡くなったのが3月4日なので本当に最後。実際のノートのファクシミリ版もついている。読めねー。まあ読めないことは既に確認してあるので驚かないが。噂に聞く限りではValéryよりはましらしい。で、最後が今年パリの国会図書館であったArtaudの展覧会のカタログ。実際にいく代わりにカタログだけでもということで。と、思ったらなぜかいまここにそのカタログが二冊ある。いきさつはというと、二月の頭にその展覧会が終わるのでネットでカタログを探していたところ(もしなかったらしょうがないからパリに行こうと思っていた)、ある古書店で見つけて、注文した。一方、アマゾンでGuillaume Fauという人のAntonin Artaudというタイトルの本があったので注文した。で、両者が同じ本だったということだ。アマゾンって結構適当なタイトルつけてることが多いと思う。カタログだったらカタログと副題としてつけてくれてもいいと思う。間違ってもっている本を注文してしまったことは何回かあるが、同じ日に同じ本を二冊頼んでしまったのはこれが初めてだ。