Roland BARTHES, Critique et vérité, Seuil, 1966

例の論争について。Picardをけちょんけちょん。Picard的な批評が根拠としている客観性、嗜好、明証性は歴史的な事実(そうであったもの)や、科学的な理論(そうあるべきもの)に基づいているものではない。要はvraisemblableなもの、つまりみんながそうだろうと思っているものにすぎない。これは古典主義の時代から変わらない。もちろんBarthesはこれ自身を否定しているわけではない。むしろこれら三つにこだわりすぎて、重要な欠点を持ち合わせてしまっていることが問題だという。それがasymbolieつまり、象徴不能である。言語は本来多義的で象徴を形成しているわけだが、Picard的批評はそれを理解しない。Barthesによれば批評は文学の科学(science de la littérature、まあ言語学的なアプローチといっていいと思う)が諸々の意味を検討し、その生成を探求するのに対して、意味を生産する試みである。Picard的批評はその批評の本分をあらかじめ自らに禁じてしまっている。
という感じ。いや、そうだと思うんですけど。何となく切なさが残る。vraisemblableというのは、批評の根拠を成立させるだけではなくて、批評そのものの受容を成立させているのではないだろうか。Picard的批評が成立していた(というか今でも強力というより主流だと思うが)のはまさにvraisemblableだからで、つまりみんながそれが正しいと思っているからだ。もしそうだとしたら、vraisemblableに対してvéritéをぶつけるというBarthesの振る舞いは、ちょっとなんというか、切ない。実際、Barthes的批評が文学史的な事実になってしまった現在において何が変わったかといえば、「Barthesみたいな考え方もあるよね」ととりあえず言うようになったくらいだ。しょうもないことをやっている人たちは多い。